パル彦伝説はツヅク。
まさか桃香にも手をだしていたとは・・・。
なんという見境のなさ。
まあ、ぶんなげられてましたけど。

石剣に桔梗の作った(不完全な)人形を重ねるアンナのシーンから始まった今回。
胡蝶三姉妹が人形から生まれるシーンもはっきりと描かれていますね。
三姉妹間の上下関係はあんがいテキトーに決められていたようです。
石剣と人形から生じた桃香と異なり、桃花はやはり由美子の小説の登場人物として原稿に書かれたのがその存在のきっかけである様子。
「・・・だって、生きとし生ける人間は、誰一人として自分が何故生まれてきたのかを、自分がこの世に存在する理由を、それほど大切なことを、知っていないから。」
由美子の執筆するこの文章。
桃花が産み出された理由は結局説明されないのではないか、となんとなく考えていたのですが、予想していたのとは逆方向から、あっさりとカタをつけられてしまいました。
桃香と桃花の生のはかなさは、我らの生のはかなさと同質のものなのだ、ということを桃華月憚は繰り返し描いていたように思います。
だから桃花が産み出されることになったその目的のようなものに関しても、扱いがとても軽かったり、あえて触れられずに終わるのかな、と。
正面突破してきましたよね。
由美子の言うように、生きていることの意味や目的を自ら知って生まれるものなどいないのです。
だから桃花というキャラクターの登場にも意味なんてないのよ!
というのは言い過ぎかもしれませんが。
荒技で無理矢理納得させられた気分がしないでもなし。
逆再生で物語を追ってきた私たちには、桃香と桃花がどのように生きたのか、それをすでに知っています。
だから桃花の生について、今知り得ている以上の意味を見いだそうとするのは野暮なだけなのかもしれません。
桃香に投げ飛ばされたパル彦が目覚め、桃香について由美子たちに問うシーン。
桃香に関してはすでに実在の人物として由美子と寧々は認識しているのですね。
一方、桃花(本当にパル彦が聞きたかったのはモ・モカについてだったわけですが)は、この時点では、まだ小説中の作中人物の扱いであることがわかります。
上津未原への列車の中で弁当を一緒に食す真琴と白川さん。
途中、最終回なのに微妙な個性的な作画キターと思ったら、真琴の中の人だったのですね。オタエリ好きだ。愛してる。と、とりあえずフォロー。
列車が上津未原へのトンネルを通過するその時。
幻想暗夜行路のみなさんや、なにかの儀式の風景、仮面の男のミイラ、そしてジュナがモノクロで一瞬映し出された後、強い風が舞い散る花びらを巻き込んで車内に吹き込みます。
降臨する桃花。
この世に生まれ落ちてすぐに弁当(真琴と白川さんの二人分)を食ってます。
ああぁああぁ、モノ食って幸せそうな桃花を見ているだけで癒されます。
真琴たちと桃歌台学園の編入手続きにやってきた桃花。
もちろん桃花の名前は初め名簿にないのですが、空欄だった場所にいつの間にか桃花の名前が書き込まれています。
携帯電話も通じない、ジュナの力が支配する上津未原。
守東家では清春と由美子が二人を出迎えます。
上津未原の現実は桃花を受け入れる形にことごとく改変されているようですね。
夜。母親の元へ電話をかけようとして電話番号を思い出せない桃花。
浴場で佇む桃花の姿は今回の冒頭で由美子が小説の一節として記述していたあのシーンと同じようです。

「私は、いつからここにいるのだろう?」
とベッドで物思いに耽る桃花。
そういえば、桃花のこの問いかけに対する桃香からの答えが「幕」の回にありましたね。
そんな桃花の部屋の窓の外に現れる桃香
花の乱れ散る月夜、桃花と桃香の初めての出会いの場面。

「前にあったことありますか?」
「はぁ?」
「会いましたか?」
「まさか。」

放映上の第一回「桜」のラストシーンに似た会話がありましたね。

「そう・・ですか・・・。あ、あのお名前は?」
桃香
「私は桃花です。たぶん。」
「たぶん?」

個人的にはココで「オワリ」になっていても良かった気がしなくもなく。

「私には、もう、時間がないような気がするのです。」
「時間が?」
「はい、私には時間が・・・・・・ありません。」

消滅の言の葉によって上津未原での短い生をまっとうすることを思えば、その予感、ということなのかもしれません。
が、むしろ「もう尺が足りません」と言っている気がしないでもなく。
「オワリ」
えええええー、ここで終わっていいのかな?かな?
という気分ですが、そういうの込みで目論み通りなのかもしれません。

とにもかくにも、桃華月憚もこれで本当の「オワリ」なのですねー。
しばらくは、物語全体にばらまかれたパズルのピースを、もう一度、あれこれ頭の中でつないで楽しもうかな、などと思います。
全体を通しての感想も余裕があればそのうち書くかもしれません。